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信貴山城での激戦・聖徳太子騎馬像と次々遭遇
本堂を出て再び紫色のトンネルを歩きます
本堂からだと右手に細い道があり 道標があります
昔からこの信貴山城跡が気がかりでした
道標に従って細道に入ると多宝堂に到着
さらに左へ進むか右折か案内はありません
それぞれの道を少し進みましたがハズレ!
奥之院毘沙門天王道とありますが、
この道くだると山中へ入りそうです
迷路に迷ったかという時、鳥居に列に遭遇
急坂ですが昇降する年配の女性が次々と・・
いったい何が? 興味が沸いてきました
この鳥居の列の先にあるのは【空鉢護法】
初めて遭遇する「くうはつごほう」に興味津々
行ってみようと歩きかけますが 遠い・・
こんな説明板がありました
毘沙門天王の分身で一願成就必是の神様だとか
登られるおば様方と少し話しましたが・・
↑「今日は白蛇さまが出たよ」って
興味津々なれど 我が家は途中断念しました
私が行きたかった信貴山城址は結局見つからず
ちょっといい加減な道案内でした
そこは今、整備されてこう↓なってるようです
ここを見たかったのは、かつてここで戦いがあったから
蘇我氏と物部氏の争いよりはずっと後でしょうが誰と誰?
松永久秀と信長の息子信忠の戦いで久秀は自刃しました
大仏殿が焼けた永禄十年十月十日からちょうど十年後の十月十日
信貴山城址は見つかりませんでしたが再訪はないでしょう
下山を始めた頃、信貴山で初の聖徳太子像に出会いました
なんと珍しい騎馬像です、ツアーの最後に出会うとは・・
境内にはよく目をこらすと古い虎の像がありました
迫力がある像ばかりで、思わず少し身を引きました
手水舎には珍しい像が・・狼でしょうか
この後、下山してできたて草餅をゲットです
焼くのに時間がかかるとのことで帰宅後焼きました
焼き立て、おいしかったです・・信貴山と聖徳太子・完
こどもの頃から何度登ったことか信貴山
その信貴山の原点に触れることができました
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聖徳太子と信貴山と張り子の虎が繋がりました
紫色の長いトンネルを抜けて・・
幟(のぼり)には【毘沙門天王】の文字が
生まれて初めてこちらの本堂へ向かいます
テラスが高ぁい!
↑下に広がるのは奈良盆地です
中学生の頃はあそこから歩いてここまで
蝶を捕りに来てました
本堂の正面に【毘沙門天王】の額です
毘沙門天王の説明プレートもありました
でも、聖徳太子の名前がどこにもありません
そもそもなぜ信貴山で聖徳太子なんでしょう
それは日本初の宗教戦争の勃発と関係がありました
仏教が日本に伝わって、豪族の蘇我氏が推しました
聖徳太子は蘇我氏とともにタッグを組みました
一方、物部氏は神道を推し真っ向から衝突です
↑蘇我氏軍は飛鳥に拠点を持ち、物部氏軍の拠点は大阪側
当初は物部軍が大きな戦力を持ち優勢に戦いを進めましたが
蘇我軍は正徳太子が知恵を出し巧みに戦いました
両軍が睨み合うことになったのが信貴山でした
このとき聖徳太子はわずか12歳
太子は寅年、寅の日、寅の刻に祈願をしたそうです
そうそう信貴山と名付けたのも12歳の太子でした
太子の祈りを聞き届け、毘沙門天降臨され、
太子に必勝法を授け、蘇我軍は勝利したのです
↓中央が毘沙門天王です
ふぅ~とため息が漏れました
さあ、鳥居まで戻ってラピさんと交代します
テンくん、待ってくれててありがとうね
延々と続く紫の幟。遠目には花に見えました
広い境内、まだ気になる所がいくつかあります
もう1日、ご一緒くださいね・・つづく
信貴山の命名は聖徳太子でした
太子・信貴山。毘沙門天王が繋がりました
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コパンで起こった事件とは?そしてなぜに信貴山へ
コパンさんで撮影が始まる時、
リードは邪魔なので外しました
撮影終了後、リードを戻そうしたものの
テンのリードがどこにも見当たりません
室内にも撮影ブース内にも車の中にも・・
テンのリードを外した私は焦りまくり
その時ラピさんの蜂の一刺しが・・
「ポケットへでも入れたんちゃうの」
まさか、そんな・・片っ端からポケットチェック
と、えっお尻のポケットからリード出ました
みなさんをバタバタさせて申し訳ありません
実は私のコパンさんでの失敗って これだけではなく
2年前にもリードを置き忘れてしまいました
さらに同じく2年前私のミスで忘れ物です
またコパンさんから電話をいただきました
忘れちゃったのはこれ、カフェマットです
さっそくテンのチェックが入りました
これが私のコパンさんでの失敗のすべてです
コパンさんでは思考が緩んじゃうのでしょうか(汗)
気を取り直して出かけた先には何これ?
西方の守護神白虎でした
駐車場を後に本日の目的の実践開始です
めざすは朝護孫子寺(ちょうごそんしじ)の本堂です
その入口前にあるのは千体地蔵です(アップ控えます)
ではスタートです、仁王門を潜ります
力強い仁王さまですが、目の光が・・
ガラスが入ってるようです
さあ、今日の目的、本堂を目指します
大虎が睨む先に本堂が見えます
本堂にこだわるのは入ったこどがないから
三宝塔です、本堂が近づいてきました
このお寺、聖徳太子の建立と伝えられますが
ここまでの所、太子に触れたものが一切ありません
さあ、いよいよ本堂の鳥居が見えてきました
参道に並ぶ紫に旗には毘沙門天王の文字が
やっと聖徳太子とゆかりのお名前が登場です
本堂へはペット連れ禁止です
参道でラピさんにふぅテン抱っこで待ってもらい
私は初めての本堂へ踏み込みました↓
やはり信貴山は聖徳太子ゆかりのお寺でした
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土中深くに祀られていた御神体である神剣を求めて
お詣りが済み 楼門を出て拝殿裏を目指します
これがお詣りをした拝殿ですが、
この真裏にめざすものがあります
拝殿後方の禁足地(きんそくち)です
こちらの神域の中でも最も神聖な霊域です
この禁足地に建てられた本殿です
土中深くに祀られていた御神体である神剣が
見つかった場所に本殿が建立されました
この本殿を見たい!これがこの日の大きな目標でした
楼門の隣には立派な門がありましたが締められたまま
この建物の裏へ回りました
裏口かと思われた場所に『カメラ撮影中』の警告です
塀の隙間から見えるのは緑の立木ばかりです
グッと覗き込むと中にもフェンスが見えます
でも本殿は見つかりません
グルリと裏を見て回りましたが本殿らしき
ものは見当たりませんでした
切り上げて祓所(はらいしょ)へ戻りました
石上神宮のシンボル鶏のお迎えです
参集殿です、諸行事に使われますが、
ここは私とラピさんが結婚式を挙げた場所です
駐車場へ戻り、このあとランチへ向かいます
ビューって走って久しぶりのアプリコートです
ここでもびっくりの張り紙が・・つづく
石上神宮の本殿見つからず、残念
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遅い初詣でラピさん念願の御朱印帳にご神体を記帳
ラピさん 喪中につき 石上(いそのかみ)神宮の
初詣を控えることにしたとの記事を書きました
喪中の1年間は鳥居をくぐっては
いけないという説がありました
喪中は四十九日だという説もあります
四十九日が過ぎても正月はお詣りを
避けるべきという説もありました
四十九日も正月も過ぎた今、石上神宮の
お詣りをしようとラピさんと決めました
どんよりした空模様でしたが、
走り出すと太陽が顔を出しました
石上神宮の参道前の大駐車場は閉鎖されていました
ジモッチーのラピさんのガイドで神社裏の駐車場へ
裏側から参道へ向かいます
ラピさん覗き込んでいますが、
巫女さんたちが集まっていたようです
何か儀式が執り行われる気配・・
突き当りの暗いところが参道です
参道へ出ました、鳥居をくぐりますね
楼門をくぐって拝殿へ進みます
正月ではないので、破魔矢やおみくじは
ないものと思っていましたが・・
拝殿でお詣りをすませると・・
横におみくじの筮竹(ぜいちく)が置かれてました
2年連続で半吉を引いた私、満を持して引いたクジは・・
末吉でした、でも内容はいいことがとても多かったです
破魔矢も手に入れることができました
そしてラピさんが欲しがっていた
御朱印帳も手に入れました
『石上神宮』と書いていただくのがノーマルですが
敢えてこちらを選ぶようラピさんに進言しました
だって、こちらは御神体を表わしています
拝殿後方にある禁足地から出土した国宝・七支刀(しちしとう)
6本の枝を持つ特異な形の剣身に古代東アジアの情勢を記した
銘文が金象眼されています
石上神宮の御朱印帳の最初に書いて頂くならこちらでしょう
遅い初詣、無事に済ませることができました
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